ほっともっとの「のり弁」に思うアベノミクスの功罪

公開日:  最終更新日:2016/03/14

のり弁とアベノミクス

かなりしばらくぶりにほっともっとの「のり弁」を買ってみた。
正確には覚えていないのだが知らぬ間に値上がりしていたんだね。

まぁ、世の中なんでも値上げだからそれは仕方ないし、どんな企業も適正利潤をとらないと健全に営めないからそれはいいとして、驚いたのは竹輪が短くなっていて、白身魚のフライも小さくなっていたことだ。
これは一見気がつかないけど単純な値上げに他ならない。

仮に竹輪が1センチ短くなれば、ほっともっと全体では1日の竹輪の長さが数キロメートルも変わるのかもしれない。その分原価は抑えられ収益は上がるだろう。
白身魚も然り。

でも、値段を上げたのなら、おかずまで小さくするのはいかがなものだろう。
ダブルの値上げってあんまりいただけない。

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アベノミクスの光と影

ところで、内閣の支持率は多少下がっても概ね好調を維持していて安倍内閣の政策は一応好意的に捉えられているのだろう。
このところは株が下がったり、多少円高に振れたりしているものの、民主党政権の頃に比べれば株価も為替もえらい違いだ。

私は株はやらないので株価が上がろうが下がろうか関係ないのだが、世間の景気には多大な影響があるので株高はいいことなのだろう。
企業は資産が増え、設備投資に前向きになり賃金も上がる。
それはまわりまわって好景気につながる(はずなのだろう)。
でも、庶民の間に景気が良くなったという実感は乏しい。

一方円高は、輸入に関わる者としてはまったくもって看過できない。
今まで100円で買えたものが120円以上する。
私はドルには関係なくユーロに影響を受けるが、以前は100円で買えたものが一時は140円以上出さないと買えなくなった。
これは相当な痛手で商売になどならない。
もっとも、円高で恩恵を被るものもいれば、その逆もありだからどちらがいいとか悪いとかは一概には言えないのはわかる。
ある者は円高だと儲かり、円安だと損をする。一方、円高で損をし、円安で儲かる者もいる。
こういうのは世の常だから、致し方ないのだが、政治的には日本全体のことを考えれば円安の方が好景気になるという判断だということ。

アベノミクスが招いた物価高

で、それはのり弁と一体何の関係があるのか?ということだが、直接の関係はさておいて、なんでもかんでも値上げの昨今、のり弁までかという印象という話。
しかも先述の通り、ダイレクトに値上げして尚且つおかずを小さくするというダブルの値上げにただ単に私が驚いたというだけのことである。

あべぴょんは世間全体が値上げすること、つまり物価高を良しとしたわけだが、果たしてそれって庶民にはどうなの?ということ。
所詮お金に困っていない人たちだけで考えた政策は、時に机上の空論よろしく下々までは届かずに庶民の首を絞める。

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実際、日々スーパーなどで買い物をしてみると分かるのだが、安倍政権になってからというものなんでもかんでも大幅に値が上がった。
簡単に言うと高くて買いにくいのである。
魚も肉もなんでも高い。
原材料や燃料費の値上げによりということなのだが、様々なものが高くなったから結果としてもっと大きな次元で世の中のすべてのものが値上がりするのだ。

円高で値上がりしたものに端を発し、開発途上国の食のレベルの向上(富裕層)や異常気象がもたらす作物の不作などに左右された需給関係による値上がりもある。
原油は値を下げているが、その割に燃料費の高騰という理由も散見される。
もちろん人件費の値上がりも要素に例えられる。
しかし、世の中全体が高値で推移しても庶民の懐は安値のままで、物だけが虚構のように高値で循環しているのだから、暮らしにくい世の中になったと言わざるを得ない。

アベノミクスの功罪

値上がり(物価高)に輪をかけたのが、総額表示を(一時的に)やめたこと。

もちろん販売者側だって利潤のためには値上げしたいのはよく分かる。
しかし、総額表示の必要がなくなった途端、つまり消費税が8%に上がるタイミングで一斉に値上げに走ったのには閉口した。
たとえばこうである。

今まで1000円だったランチ。
5%の税込だったことを考えれば、税抜き価格は約952円。
これが外税の8%になったなら新価格は約1028円であるべきだ。
それが単純に外税(8%加算)で1080円になったのだから驚きだ。
この時点で、ランチ本体は48円の値上げである。
48円と言えば約50円だが、これは1000円に対して5%相当。
消費税が3%増税されたところに5%の値上げだから消費者には痛い。
こういうことがほぼすべての物品において行われたのだからたまらない。

総額表示の(一時)中止は理解できなくもない。
それは短期間で再度消費税を10%に上げるのが既定路線である以上、メニューや料金表を一々作り変えるのは無駄があるからという理屈。
でも、将来的に再度総額表示に戻したところで、一度値上げされたものは容易に元には戻らない。
8%のタイミングでも総額表示を続けていれば、こういった雪崩的な便乗ともいえる値上げは防げたに違いない。

タイトルにある、アベノミクスの功罪の「罪」は、この総額表示の中止だと考えるのは私だけだろうか。
まぁ、アベノミクスはもっと大きな次元の経済政策だろうから、この一点をして、アベノミクスの罪とも言えないのだが。
では、それに対して功罪の「功」は何であろう?
残念ながら個人的に私には思いつかないのである。

まとめ

たかが「のり弁」の話である。
しかしそんなたかが「のり弁」にさえ物価上昇の深い痕跡が見えるではないか。

政策は政治家の自己満足という側面は否めない。
報道各社が世論調査を行っても、所詮政治は政治家の都合により政治家同士で決着することが多い。
そして、政治家は総じてお金に困っていない。
お金に困っていない者同士が「楽な」状況で話し合っても、庶民の気持ちと財布の中身には気がつかない。

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