あけましておめでとうのなぜ?疑問に思うのはへそ曲がり?

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あけましておめでとうございます

新年の挨拶は当たり前のように「あけましておめでとうございます」
年賀状も一つの挨拶だから、同じく「あけましておめでとうございます」

10代の頃からこの「あけましておめでとうございます」に違和感を持っています。
端的に言うと、年が明けて何がおめでたいのか?ということ。

こういう疑問は恐らくマイノリティーで、そんなへその曲がったことを言わずに普通に「おめでとう」でいいじゃないか。
これが一般的。
しかし、私のように「あけましておめでとうございます」に疑問を感じる人も少なからずいるようです。

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年が明けておめでたい理由

年が明けておめでたい理由を調べていくと、どうやら二つの説があるようです。
一つは「昔は年齢が数えだった」もう一つは「年神様」

とはいえ、そもそもそんなことを一々考える人はほとんどいなくて、「あけましておめでとうございます」は慣例で使われているのが実情。
そして、それに異を唱えたり疑問を持つのはやはりへそ曲がりというわけ(笑)

それでも、知恵袋なんかにそういう質問をする人もいるようで、答えを見ると浅いけど一応参考になったりもします。

「旧年が明けました。
 体に問題なく健康に新年を迎えられておめでとうございます」

これをはしょって「あけましておめでとうございます」と言われているという回答がありました。(今はさらにはしょって「あけおめ」だったりしますが)

要は、「無事でまた新しい一年が迎えられてよかったね」であり、もっと端的に言うと「お互い死ななくてよかったね」なんだとか。

まぁ、大過なく一年が過ぎ、また新しい年が迎えられてよかったね!という解釈で概ね正しいのでしょう。
そのように思えば、「あけましておめでとうございます」も、一応は素直に受け入れられそうでもあり…。

次の章とその次の章ではもうちょっと突っ込んだ解釈をご紹介。

年が明けておめでたい理由、その1「数え年」

日本では、年齢を表すのに「数え年」を用いてきた歴史があります。
今はそんな数え方はしないし、若い人は「数え年」なんて知らないでしょう。事実、若くもない私でさえ「数え年」など使いません。

数え年とは、年齢が更新されるのが、今の誕生日による満年齢ではなく毎年1月1日、つまり年が明けると年齢が更新されて一つ歳をとる、これが数え年です。
そして、生まれた時は本当ならゼロ歳なのに、ゼロという概念がなくて既に一歳。
私の母などは年末生まれだったので、生後数日で年が明け、あっという間に二歳というわけです(笑)

こういったカウント方式がいわゆる数え年です。
年が明け、新年を迎えると、全国民が揃って一つ歳をとる、誕生日なんて関係ねぇ、それが数え年。

では、それが「あけましておめでとうございます」と、
どう関係があるのか?というと…

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年をとるというのは、即ち、それまでの一年を大過なく過ごせたという証であり、それはとても喜ばしいことだよね、というわけです。
その喜ばしいことが、年が明けた新年1月1日、あなたにも私にもどなたにも、生きてさえいれば例外なく誰の身にも起こるということで、新年が明けるとおめでたいということ。

逆に不幸があれば(身内が亡くなれば)おめでたくないから喪に服して、新年は祝わないというのも理にかなっています。

と、このように、数え年の世界では、まずタイミング的に年齢が更新される「新年」、そして「大過なく過ごせた」つまりお互い無事に生きているから「おめでたい」という概念なんですね。

年が明けておめでたい理由、その2「年神様」

さて、年が明けておめでたい理由にはもう一つ説があるようで、それが年神様。

お正月は新たな年、つまり年神(歳神)様をお迎えするということでおめでたいのだとか。
ちょっとこれだけでは意味が分かりにくいのですが、年神様とはいったい何者なのでしょう?

年神様には諸説あります。
どれが正しいのか分かりませんが、ある意味どれも正しいのでしょう。

概略としては、元旦の1月1日、各家々に新年の幸せをもたらすために、高い山から降りてくる神様が年神様。

その昔、年神様はご先祖様や祖先の霊と考えられていて、お正月には「年神様」、そしてある時は「山の神」、またある時は「田の神」としていつも子孫の繁栄を見守ってくれる各家庭のヒーローのような神様という認識だったようです。

そんな神様がお正月に年神様として我が家にやって来る!
これは果てしなくめでたいことだ!!
というので、「あけましておめでとうございます」

そして、その年神様をお迎えする準備がいわゆるお正月の準備のあれこれ。

門松を飾って年神様に対して道筋を示し、不浄のものが外から神様の方へ入らないようにしめ縄を張って結解を作り、そして年神様の依り代(よりしろ)、つまり居場所として「鏡餅」を飾る。
またおせち料理は、本来年神様へのお供え料理であり、五穀豊穣・子孫繁栄・家内安全などの祈りを込めて山海の幸を盛り込んだ縁起ものの料理。

こういう風習と年神様信仰が相まって、お正月の行事が形づくられ、それに付随する言葉として「あけましておめでとうございます」

と、だいたいこんな感じです。

まとめ

「あけましておめでとうございます」

そう言われて「何がおめでたいんだ?」なんて言わず、今は素直に「あけましておめでとうございます」と返せます(笑)
それは一応大人ですからね。

でもずーっとなんでかな?何がおめでたいのかな?とは思っています。

上記「その1」の、大過なくまた新たな年を迎えられたのだから「おめでたい」というのは、まぁまぁ素直に従えそうですね。
ただ、その背景には「年を取ることがおめでたい」という意味も込められている気がしますが、今度はこの年を重ねることに対して「おめでたい」というのにも若干違和感はあります。
なぜかというと、年をとるということは、それだけ死期が近づくわけですから、何とも微妙な気がするわけです。

でも、これも、先述の「大過なく新たな年(この場合は年齢)を迎えられておめでたい」と解釈すれば、まったく理解できないわけでもありません。

ということで、大過なく新たな年を迎えられて「おめでとうございます!」

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