身だしなみがもたらすあなたの印象、身だしなみに見える潜在意識

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身だしなみ

毎朝、身支度を整えると「今日も頑張るか!」みたいな気力がわきますよね。
まぁ、中には「また今日も仕事か…」みたいな人もいるかもしれませんが、朝は活力がみなぎっている方が充実した一日を過ごせます。

さて、今日は身だしなみの話ですが、今日のあなたの身だしなみはいかがでした?
ビシッと決まってましたか?
まさかヨレたスーツや半端なメークで出かけたりしませんでしたよね?

身だしなみは大事ですよ、特に第一印象なんかだと大きく左右されますから。

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身だしなみの根底にある潜在的な意識

身だしなみに対する意識や感覚は人それぞれです。
いつもきちんと身なりを整えている人がいる一方、まるっきり気を遣わないといった人もいます。

こうした違いは、いったい何に由来するのでしょう?

オシャレに敏感かそうでないか… というのももちろんありますが、そればかりでもありません。
身だしなみというくらいで「身」の「たしなみ」なのだから、その意味から「好み」や「趣味」という要素、これはオシャレにも通じるところがあります。
さらには「たしなみ」には「平常の心がけ」や「用意」といった意味もあるので、そのまま服装にあてはめれば理解しやすいでしょう。

また、自意識も大きく関係しますよね。
「自分がどう在りたいか」あるいは「どう見られたいか」といったあたりも身だしなみには大きく影響します。

何と言っても、服装は周囲に対して自分をアピールする道具の一つです。
「人を見た目で判断してはいけない」という考え方もありますが、やはり最初に目に飛び込んでくるのは見た目ですから、それにより印象が決定づけられるのは避けられません。

特に第一印象には大きく影響します。

人はまずパッと見た瞬間に、その人の社会的地位や好ましい人物か否か、更には付き合うに値するかなどを無意識のうちに値踏みします。
そして身なり、つまり服装は、その人の声や話し方、表情などと並んで「印象」の判断材料の一つに使われます。

そう考えていくと、身なりに気を遣うかどうかは、「他人に自分をどう見せたいか」という意識の表れだともいえるんですね。

それが証拠に、思春期、特に異性を意識し始めた頃の「お年頃」の子は、突然オシャレに目覚めたりします。
特に女子に多い印象ですが、男子にも少なからずいます。
これなんか、相手や周囲に「どう見られたいか」の典型といえるでしょう。

つまり、身だしなみは、周囲に自分を「どう見せたいか」、周囲から自分が「どう見られたいか」が根本にあり、きちんとしているほど社会的常識に適っているといったところでしょうか。

日頃から身だしなみに気を遣える人とそうでない人

身だしなみに気遣いが行き届いている人は、何気ない普段の服装にも隙がない場合が多いでしょう。
それは、自分が他人に与える印象を客観的に意識できているからです。

また、自分に隙があることが「自分自身で許せない」ということもあるでしょう。この辺は自意識の問題ですね。

そういう人は、たとえ夜間や休日に近所のコンビニに行くだけでも、パジャマにサンダルなんて恰好では出かけません。
友人や知人に出会う可能性が皆無で、見られるといえばコンビニの客や店員、あるいはすれ違う人だけだとしてもです。

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これが身だしなみに気を遣わない人だったら、平気でパジャマにサンダルで出かけるかもしれません。もっともそのパジャマの柄にもよりますがね(笑)

この大きな違いというのは、やはり普段からの自意識の問題でしょう。

身だしなみを気遣う人は、場所や場面、誰に会うかなど関係なく、全時間帯・全シチュエーションできちんとしています。
自意識過剰と言えなくもないのですが、それが身についているので本人にとっては当たり前なんですね。苦しくもない。まったく無理をしていないんです。

対して、身だしなみに気を遣わない人も、同じくまったく無理をしていないので、普段通り身だしなみに気を遣わないだけのことです。
まぁ、これも誰に迷惑をかけるわけでもないので、自分さえ気にならないのなら(なるはずもないが)特段問題はないんですね。

しかし、やはり周囲からの評価には雲泥の差があります。

場面によって身だしなみに気を遣える人

ここまでは、いつ何時でも身だしなみに気を使える人を中心に、そうでない人も取り上げました。

でも、世の中の多くの人はその中間というか、時と場合によって服装に気を遣ったり遣わなかったりする人です。

例えれば、仕事で取引先の人と会うときにはきちんと身だしなみを整える、記念日などのデートにはそれなりの服装で対応できる、こういった感覚の持ち主です。

この手の人は、いつ何時でも身だしなみに過剰に気を使う人ほどではないにしろ、それなりに客観的な視点を備えています。
「自分をどう見せたい」とまではいかなくても、身だしなみを社会的な常識の範疇として捉えていて、TPOに応じた服装はできる人といえるでしょう。

そんなにオシャレでもないんだけど、超ダサいわけでもない、まぁ、そこそこの人いった感じでしょうかね。
とくに際立った感性もなく個性も強くない。わりと日和見主義的で、一般的な流行には迎合しやすく、無意識の憧れが服装に表れやすい。

たとえば、女性の場合の「お嬢様系のお洋服」、これなんかは、無意識のうちに「育ちの良さ」をアピールしていたりします。
強い自意識の表れではなく、中流階級が故に何となく「良家」にそこはかとない憧れがあって、その結果、自然とお嬢様系を選んでしまう…。

反論もあるでしょうが、よくよく自己分析すると、「案外そうかも?」なんてことも。
何々系とは言いませんが、そういうのは少なからず男性にもあることです。

まぁ、ちょっと話が脱線しましたが、要はさほど自意識が強くなくて、自分を「どう見せたい」まではいかなくても、一般常識から逸することなく身だしなみをわきまえている人が一番多いであろうということです。

そして、実際はそれで十分だったりします。

まとめ

身だしなみに気を使う人は、時にある意味「自意識過剰」だったりもします。
「自分はこう在りたい」「こう見られたい」というのがはっきりしています。

対して、身だしなみに気を遣わない人は、「自分はこう在りたい」という願望を放棄したかのようにも見えます。
それは、もしかすると無意識のうちに自己成長を諦めてしまった結果なのかもしれません。

身だしなみ一つにしても、心理的な部分を含めて、けっこう深いものがあります。
過剰に気を使わなくてもいいけれど、社会的な常識の範疇として身だしなみを捉え、TPOに応じた服装ができる人でありたいものです。

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