清水の舞台から飛び降りる、その意味の変遷や案外高い生存率

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清水の舞台

京都観光で、まず外せない代表的な観光スポットといえば清水寺です。
そして、清水寺といえば「清水の舞台」を思い浮かべない人はいないでしょう。

ところが、この清水の舞台…
日本有数の飛び降りのメッカでもあるのです。

あなたがピースなどしながら自撮りしたかもしれないあの場所で、たくさんの人が飛び降りたなんて、ちょっとうすら寒くなりましたか?

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清水の舞台、意外に高い生存率

清水の舞台に立ち、実際その目で下を見下ろすとやはり「高っ!」と感じます。
なにしろ舞台は地上およそ12メートル、だいたいビルの4階分に匹敵するのですから事実けっこう高いのです。

最前部で直に下を見下ろすと、なんかこう… 下半身がモゾモゾというかワサワサっていうか、妙な感じがしませんか…?
そう、私はかなりの高所恐怖症なもんで、あの高さはもう全然だめなんですね…汗
少し後ろに下がって、見事に一望できる京都の街並みや、ひときわ目を引く京都タワーなんかを見ていた方がずっといい。
とは言え、舞台の下は樹木がうっそうと茂っているので、真下の地面ははっきりとは見えないのですが…。

ところで、この清水の舞台、先述の通り、飛び降りのメッカです。
なにしろ江戸時代だけで、それも記録が残っているだけで、235件、234人が飛び降りたんだとか。
この、件数と人数の違いは、重複している人が一人いることを意味します。
そう、何と二回も飛び降りた人がいるんです。京都の女性だそうですが、すごいですよね…。

ここで気が付いてほしいのですが、一人が二回飛び降りるって… じゃぁ、一回目は助かったの? ってことなんです。
そうです、助かったんですよね。
二回目は分かりませんがが、たしかに一度目助かっているんです。
というより、この女性に限らず、234人中助かった人は200人。お亡くなりになられた方は34人。
この数字が示す通り、実に生存率は約85.5%にものぼります。これは飛び降りのメッカとしては驚異的な数字ではないでしょうか!?

ではなぜそんなにも多くの人が助かったのか?

それは、清水寺のご本尊である観音様の温かいお慈悲… かもしれませんが、実際は落下の途中で樹木がクッションになったものと思われます。
事実、見下ろせばかなり木が生い茂ってますからね。
というわけで、生存率は85%超!というすごい記録が残されています。

だからあなたが清水の舞台でピースなんかしながら自撮りしたって、よほどじゃないと背後霊など写りません(笑)
なにしろ、飛び降りたほとんどの人が助かっているですから。

それに、何と言っても観音様が、せっかく観光に訪れたあなたを優しく見守ってくれます。
したがって邪悪なものなど写りませんから、安心してどんどんピースなどしながら京都の街並みを背景に自撮りを楽しんでください^^

清水の舞台から飛び降りるという意味の変遷

それにしても、なぜそんなにたくさんの人たちがあんな高いところから飛び降りてみようと思ったのでしょう?

きっかけは、ある「検非違使(けびいし)」がやむを得ず飛び降りたことに端を発しているようです。

13世紀前半の説話文学に「宇治拾遺物語(うじしゅういものがたり)」というものがあります。
それによると、所用で訪れていたある検非違使が、不幸にも無頼の輩に取り囲まれ、逃げ場を失ってやむなく飛び降りたというものです。
無頼の輩なんて古風な言い方ですが、今だったらヤンキーとかもヤクザとか、要は与太者ですかね。

ちなみに「検非違使」とは現在で言うところの警察官や裁判官のようなもの。平安時代から室町時代に主に京都の警備を担っていました。
こういう役人は悪人から恨みを買うものです。恐らくそんな背景があって、その検非違使もそのような災難に遭ったのでしょう。

で、逃げ場を失った検非違使、観音様に命運を託し、「えいやっ」とばかりに清水の舞台から飛び降りたところ、難を逃れたといいいます。

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こういった説話などから、「清水の舞台から飛び降りる」という言葉は、当初、「決死の覚悟で逃げる」というような意味合いでした。
現在の「思い切って大きな決断をする」に通じる部分もありますが、使い方がちょっと違っていたんですね。

その後、江戸時代になると、意味合いは少々形を変え、「観音様に願掛けして舞台から飛び降りれば命が助かり、願いが叶う」となって広まります。
まぁ、元の意味から極端に大きくかけ離れてもいませんが、願望が表に出てきてる印象です。
事実、それに派生した色んな解釈が生まれ、「傘をさして飛び降りると恋が成就する」なんてものまで出てくる始末で、若い女性が傘をひらいて飛び降りる情景が浮世絵に描かれていたります。

清水舞台より飛ぶ女
江戸中期の浮世絵師、鈴木春信の「清水舞台より飛ぶ女」
画像は、Art, etc.さん よりお借りしました。

つまり、飛び降りる人たちにとっては一種の「願掛け」だったのです。

一般に飛び降りなんていうと、この世に絶望して命を絶とうとしている人の行動に思えますが、当時飛び降りた人たちはまるで逆。
生きる気満々で、なんとか願いを叶えたいと思っている人ばかりだったんですね。
万が一、運悪く命を落としてしまったとしても、そこは清水寺の観音様のお膝元。成就させてもらえるに違いないという安心感もあったのでしょう。

ただ、いくら願掛けとは言っても、やはり飛び降りるには相当な勇気と思い切りの良さが必要だったことでしょう。
それを表すかのように、「清水の舞台から飛び降りる」は、次第に「思いっ切りの良さ」の例えとして使われるようになっていきました。

そしてその後、また多少形を変え、「思い切って大きな決断をする」という現在の解釈になったのです。

データから見る清水の舞台の飛び降り

飛び降りにも流行りの時期があったといいます。

先述の、江戸時代に飛び降りた235件、234人ですが、普通に平均すると、年に1.6人の割合で、だいたい2年に3人という感じ。
ところが、まったく平均的に飛び降りが起きるわけではなく、やはり年により増減はあった模様です。

あの有名な赤穂浪士による吉良邸討ち入りは元禄15年の暮れ、「曽根崎心中」の流行が元禄16年、そんな元禄16年辺りが最多のようで、一年に7件の飛び降りの記録が残っています。
この辺はやはりメディアがなかった当時でも情報は伝わり、人々の感情を揺さぶったり、感情移入する人も多かったとみるべきなのでしょうか。

また、飛び降りた人の割と細かいデータも残っていて、男女の内訳では7対3の割合で男性が多かったのだとか。
年齢の内訳は意外なことに10代がトップで過半数に上るといいます。
ちなみに最年少は12歳、最高齢は80歳。
住所別では、やはり交通機関が歩きしかなかった当時のことですから、地元京都の人が全体の7割。
残りの3割は江戸をはじめけっこう遠方からわざわざ訪れた人たちです。
職業は、武家と公家は皆無、意外なのは僧侶が7%もいること、そして残りは一般庶民です。

まとめ

生存率が85%は意外でしたが、それ以上に願掛けで飛び降りる人がそんなに多いのも意外でした。
飛び降りというと、イコール自ら命を絶つというイメージでしたが、昔の人は願掛けで飛び降りるのだから勇気があったというか変わってましたね。

現在なら飛び降りが頻繁に起これば、防止のために自治体なりが速攻で柵を儲けたりしますが、昔もそういう考え方はあったようで、清水寺は奉行所に何度も「安全のための防止柵を設けてほしい」とか、「人々に飛び降りないよう指導してほしい」といった陳情を行っていたそうです。

ただ、そういった施策が実際に為されたのは、明治維新を経て、日本が文明開花の途上にあった明治5年(1872年)のこと。
ついに「飛び降り禁止令」なるものが発令されたといいます。

ちなみに、平成に入ってからも飛び降りは起こっています。
残念ながらいずれのケースも助かることはなかったようです。

今の時代に願掛けで飛び降りたはずもないでしょうが、命は大切にしませんと。
観念様でも全ての命を救えるわけではありませんから。

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