平安から伝わる!京都・葵祭の歴史やその名前の由来を知ろう!
毎年新緑が薫る季節になると、京都で行われる例祭があります。
それは「葵祭」
由緒あるこの葵祭とは、どんな行事なのでしょうか。
葵祭とはどんな行事?その名前の由来は?
葵祭は、正式には「賀茂祭」といわれ、もとは朝廷行事でした。
平安時代の優雅な平安貴族装束で行われる行列で知られています。
「源氏物語」や「枕草子」にも登場します。
祇園祭、時代祭とあわせて「京都三大祭」と呼ばれ、葵祭はその中でも一番最初、毎年5月15日に下鴨神社と上賀茂神社で開催されます。
京都御所から、総勢500名以上の平安貴族装束をまとった人と牛馬計40頭からなる長さ全長約800メートルにもなる行列が、至るところに飾られた葵の花を揺らしながら約8キロ先の上賀茂神社へ向かうところから祭りは始まります。
葵祭の最大の見せ場は流鏑馬神事です。
上賀茂神社の糺の森の真ん中にある全長500メートルの馬場を、着飾った馬に跨った平安貴族装束や武士風の狩装束姿の射手たちが疾走しながら、3つの的を射抜くという儀式です。
馬を走らせながら正確に的を射抜く場面が印象的です。
「賀茂祭」が「葵祭」と呼ばれるようになったのは、江戸時代前期、元禄年間といわれています。
このころ、中断されていた祭が復興されたことが関係しているようです。
上賀茂と下鴨両神社の神紋が「二葉葵」であり、祭りでは神事関係者、行列参加者などに二葉葵と桂の小枝をつけるのが賀茂祭の古くからの習わしとなっていたので、「葵祭」と呼ばれるようになったといわれています。
社殿や牛車にも葵の花が飾られていることも関係がありそうです。
葵は「清浄の象徴」であることから、清めの意味合いが強いと考えられています。
葵祭の歴史とは?
平安時代、欽明天皇の代に、気候が荒れ作物が実らず、飢饉が起きました。
この災害は加茂の神(賀茂別雷大神)の祟りであるといわれ、大神を鎮めるために馬に鈴をかけ、人に猪頭をかぶらせてかけくらべをしたところ、気候が安定し作物が豊かに実り、民に安泰が訪れたという話が祭祀の始まりです。
平安中期の貴族の間では、「祭り」と言えば葵祭というほどほど有名な祭でした。
平安時代以来、国家的な行事として行われてきた数少ない祭りです。
江戸時代に、今のようにすべてを葵の花と紋様で飾るようになりました。
京都三大祭のひとつとして、途中何度か中断されているものの、伝統は忠実に守られています。
葵祭に登場する斎王代とは?
「斎王」とは、巫女として奉仕した未婚の内親王または女王のことをいいます。
現在では斎王が存在せず、京都ゆかりの寺社、文化人、実業家などの20代の未婚の令嬢から選ばれることから、斎王に代わる人という意味でで「斎王代」と呼ばれています。
斎王代が葵祭の主役になったのは1956年(昭和31年)からで、比較的最近のことです。
斎王代は葵祭当日以外にも斎王代禊の儀を行います。
これは、斎王代と、女人列に参加する40人の女性が御手洗池に手を浸して、身を清める儀式です。
まとめ
優雅で古風な祭り、葵祭。
今年は春の訪れを、この葵祭で楽しんでみませんか。
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