「察してちゃん」の意味とは?空気を読むのと察するのはどう違う?

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察してちゃん

「察してちゃん」という言葉、聞いたことはありますか。

いつでも「察してほしい」ばかりで、自分の意見や要望をあまり言わないタイプの人を指して、「察してちゃん」なんていいます。

近年、こうした「察してちゃん」が、男女ともに避けられている傾向にあるのをご存知でしょうか。

今回は、「察してちゃん」が避けられる理由、さらには「空気を読む」と「察する」の違いについて考えていきます。

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「空気を読む」とどう違う?

今回のテーマで重要なポイントが一つあります。

それは、「空気を読む」のと「相手の気持ちを察する」のは、一見似ているようでいて、全くの別物という点。

近年、人とのコミュニケーションにおいて、「空気を読むスキル」が非常に重要視されていますよね。

「周囲の人たちはどのように感じるか」など、空気を読みながら、うまく行動しましょう…という考え方です。

空気は読めても、相手の心までは読めない

しかし、「空気を読む」というのはあくまでも、「場の雰囲気」とか「全体の空気」とか、そういうものを感じ取る、読み取る、といった意味です。

「察してちゃん」が求めているような、「二人っきりでいるときに相手の心を読む」のとはまるで違います。

しかし、「察してちゃん」の多くは、この違いが分かりません。

人に「もっと空気を読め」と言うのと同じように、「私の心も察してよ」なんて要求するわけです。

つまり、「察してちゃん」にとっては、一般に言われる「空気を読んでほしい」が、「私の気持ちを読み取ってほしい」にエスカレートしてしまっているんです。

空気を読めても…

空気を読むというのは、あくまでも「全体の空気の中で、どのように振る舞えばよいかを考える」という意味です。

例えば、会議をしていて、「そろそろ参加者たちが疲れ始めている」という状況だとしましょう。

もしもここで、さらに会議が長引くような発言をしたら、「空気が読めない奴」なんて言われます。

逆に、終わるべきタイミングを察知して、会議を終わらせるようにもっていくのが、「全体の空気を読む」ということです。

社会における処世術として、こうしたスキルが求められるのは必然でしょう。

「私の心を察して」と要求する

しかし、「察してちゃん」が言っているのは…

「私は何も言わないけれど、私の個人的な要望をあなたに読み取ってほしい」ですから、要求している内容が「空気読め」とはまるで違います。

例えば、「察してちゃん」と一緒に食事をするのに和食屋さんを選んだとします。

しかし、その後で…

「私は洋食屋さんの方がよかったのに…どうして察してくれないの?」

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なんて言われたらどうでしょう?

超能力者でもあるまいし、相手の心の内など分かりようがありません。

それに何も言わない人に対して、「この人は洋食と和食、どちらが好きなのだろうか」なんていちいち考えていられないし、また考える必要もないでしょう。

希望があるなら口にすればいいだけの話ですから。

他人に無駄に負担がかかる

上記のケースでは、洋食屋さんがいいのなら「洋食屋さんに入りましょう」と、はっきり口に出して言うべきでした。

相手が外国人で言葉が通じないならともかくも、同じ日本人同士。それこそ希望を言えば済む話です。

「私は言いたいことを言わないけれど、あなたが私の心を察してください」

なんていう要望は、相手に無駄に負担をかけ、相手を当惑させる以外のなにものでもありません。

これでは、周囲も疲れてしまうので、避けられるのも当然です。

空気を読むのとは別

「全体の空気を読む」のと「相手の気持ちを察する」のは、全くの別物です。

例えば、人が多い場合など、各人が言いたいことをなかなか切り出せなかったりするものです。先述の「会議が早く終わってほしい」などはその典型です。

こういう状況の時は、「皆がどう感じているか」と空気を読む必要があります。

しかし、相手と一対一でいるときに、「私の考えを察してください」なんて要求するのは、無理難題を通り越して、もはや「厚かましい」という領域です。

対処法は?

こうした「察してちゃん」に遭遇したときの対処法は、「自分の考えをキチンと言わせる」、これに尽きます。

こちらが下手に「察してあげよう」としようものなら、察してちゃんは、さらに自分の気持ちを言わなくなります。

しかも、それがエスカレートすると、「あなたが察して当然」とさえ考えるようになるでしょう。

これでは、相手をしていても、ただ負担なだけで、終いには嫌気がさすというものです。

やはり、言いたいことがあるなら、はっきりと口に出して言わせなければならないし、それでもただ察して欲しいなら、周りから人が去っていくだけでしょう。

まとめ

いかがでしたか。

「察してちゃん」と呼ばれる人の多くは、「空気を読む」イコール「自分の気持ちを察してくれる」と低次元で勘違いしているようなところがあります。

しかし、超能力者でもなければ、相手が何を考えていて、どうしたいのか、どうして欲しいのかなんて分かりようもありません。

そもそも、希望を口にしない人の心の内を推し量って、気にかけてあげる必要すらないのです。

もしもその「察してちゃん」に、人としてなにがしかの魅力があって見捨てられないなら、その辺の機微とやり方を教えてあげればよいでしょう。

そんな必要すらない相手なら、面倒なだけなので、関わらないように距離を置くのが賢明です。

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