マンスプレイニングとは?説明したがる男の心理&男女の脳の違い

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マンスプレイニング

「マンスプレイニング」という言葉をご存知ですか?

これは、男性の持つ「やたら説明をしたがる心理」を揶揄(やゆ)して生まれた造語です。

今回は、「マンスプレイニング」の意味と、説明が好きな男性の心理についてご紹介していきます。

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マンスプレイニングとは?

マンスプレイニングとは、英語の「男(マン)」と「説明(エクプレイン)」とを組み合わせた造語で、

・男はとにかく説明が好き
・男は女に説明をしようとする

などの文脈で使用されます。

話題になった「マンスプレイニング」の風刺画

マンスプレイニングについて、海外で紹介されている、1枚の風刺画があります。

⇒こちら

美術館で、女性が一緒に行った男性に対し次のように話しています。

私は、「この絵はどういう意味なのかしら?」って言ったの。
この絵はどういう意味か教えてなんて言ってないわ。

これは、なかなか象徴的ですよね。

つまり、女性が「どうして?」「なんでだろう?」と言う時、これらの言葉は「疑問文ではない」…ということです。

説明は求めていない

女性にとって、「どうして?」というのは、「どうしてそうなったのか、私にはその理由が分からないわ」という、ただの現状報告である場合が多い、ということなんですね。

そのため、女性が「どうして?」と言ったとしても、「特に理由を知りたいわけではない」というケースが、往々にしてあるわけです。

説明をしたがる男性

一方で男性というのは、会話では何かしらの「結果」を求めようとします。

・質問をされたら、その答えを返す
・理由を聞かれたら、その理由を話す

などです。

そのため、女性の「答えを求めない疑問文」に対しても、男性は何かを「答えよう」とします。

その結果、時として男性は、女性が求めていない「説明」をしてしまう… というわけです。

これが、上記の風刺画に描かれている、

私は、「この絵はどういう意味なのかしら?」って言ったの。
この絵はどういう意味か教えてなんて言ってないわ。

という場面になるわけですね。

女は感情の生き物

「女は感情の生き物で、男は論理の生き物」とよく言いますよね。

感情に必要なものは「共感」です。

つまり、相手が「自分の感情をそのまま受け入れてくれる」というプロセスです。

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女性にとっては、相手がただ共感をしてくれればよいのですから、そこに「説明」は必要ありません。

そのため、この風刺画の中で、男性の「模範解答」としては…

「そうだね、本当によく分からない絵だね」

といった具合に、相手の女性のコメントに対して、ただ「共感」してあげるべきだったんですね。

男は論理の生き物

しかし、男性の脳は「論理」で動いていますから、女性のこうした「共感を求める心理」を推し量れず、ついつい「説明」をしてしまいます。

そして時に、女性が「ウザい!」と感じてしまうほど、その説明がくどい場合があるんです。

こうした男性の特徴を揶揄して造られた言葉が「マンスプレイニング」というわけです。

マンスプレイニングは悪いこと?

「マンスプレイニング」という言葉は、本来こうした「男女の脳を違い」を表すための言葉です。

でも、近年のネット記事は「女尊男卑」的な傾向が強く、こうして男が説明したがる傾向を「良くないこと」だと考える風潮ができています。

実際のところ、「マンスプレイニング」という言葉で検索すると、「説明がうざい男の特徴」等の非常にネガティブな記事が目立ちます。

しかし、当然のことながら「説明が必要な場面」というのもありますよね。

もしも、世の中の男も女もただ共感をし合うだけで、説明を一切しないようになってしまったら、社会は成り立ちません。

感情と論理、これらが丁度良いバランスで共存し合うのが最も理想的な状態です。

したがって「マンスプレイニング」という言葉は、あくまでも、「男は論理の生き物だから説明をしたがる」というだけの話であって、本来はそれ以上でもそれ以下でもありません。

現在巷に氾濫しているネット記事のように、「男は説明をするな!共感だけしていればいい」という論調はあまりにも一方的で、「女尊男卑」的な考え方だ…と言えるわけです。

まとめ

いかがでしたか。

今回は、「マンスプレイニング」という言葉の意味や由来などについてご紹介してきました。

男は論理の生き物ですから、会話の中で回答や情報、説明を求めます。

一方で女性は、感情の生き物ですから、同意や共感を求めます。

そして、論理が好きで、何かと説明をしようとする男の心理を「揶揄」した言葉が、「男(マン)」と「説明(エクプレイン)」とを組み合わせた、「マンスプレイニング」…というわけです。

「説明をするのはうざい男」というような、短絡的な話ではないんですね。

論理と感情は、いずれも生きていくうえで必要なものですから、うまくバランスをとっていくようにしたいものです。

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